伝統
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都々一坊扇歌
【県北】
- 都々一坊扇歌の顕彰碑=常陸太田市磯部町
江戸時代後期に流行した大衆芸能の一つ、都々逸を大成させた。
都々逸は七・七・七・五の26文字を基本とした口語の定型詩。寄席や座敷などでは三味線に合わせ、節をつけて歌う。
扇歌は1804年に現在の常陸太田市磯部町に生まれた。江戸で音曲入りの落語を演じていた船遊亭扇橋に師事して稽古に励み、生来の美声と頓知で人気を博した。その人気ぶりは、扇歌が高座に上ると、周囲八丁の他の寄席ががら空きになるほどだったという。
社会情勢を批判した狂句が幕府の不興を買って江戸追放となり、晩年は現在の石岡市に嫁いでいた姉の元に身を寄せた。52年に病没。
石岡市府中5丁目の国指定特別史跡「常陸国分寺跡」には扇歌の墓と、扇歌を祭る「都々一坊扇歌堂」など、常陸太田市磯部町には生誕155年を記念して建立された顕彰碑などがある。また常陸太田市では都々逸の保存や普及を目的に、1987年から毎年全国大会が開かれている。
◆主な意見
・庶民の心を謡にして流行らせた、庶民の文化を築いた人物。
【LINK】
常陸太田市観光物産協会