人物
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北畠親房と小田城
【県南】
- 本丸跡を歴史公園に整備した小田城跡歴史ひろば=つくば市小田
小田城は、鎌倉時代から戦国時代まで常陸国南部で勢力を誇った小田氏の居城だ。場所はつくば市小田の宝篋山(ほうきょうざん)(461メートル)の西の麓。筑波山から見れば、南に位置する。
南北朝時代には南朝方の重臣・北畠親房(きたばたけちかふさ)を迎え、関東の南朝方の一大拠点となった。戦国時代にかけ、数々の戦を繰り広げた。南朝の正当性を示そうと、親房が「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」を書いた地としても知られる。
筑波町史は、南北朝時代の1341年、北朝方との合戦で小田治久が降伏、開城したと記述している。この時、親房は関城(現・筑西市)に移ったとされる。小田城はその後も戦国時代の1556年に結城氏と、64年に上杉、佐竹両氏らとの激しい戦乱の舞台となった。
国史跡「小田城跡」は、本丸跡を歴史公園に復元した「小田城跡歴史ひろば」として2016年に開園。庭園のほか、本丸の模型を展示する案内所を併設し、歴代城主の物語を紹介するなど、小田氏400年の権勢を今に伝えている。
◆主な意見
・北畠親房が逗瑠し『神皇正統記』の中に単に史的著述がなされ、親房の史観に哲学、倫理観、宗教観が形成された場所としてあり、また、中世紀にあって歴史的、伝統的に枢要な地位にあったとされる。
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