歴史・史跡
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那珂湊反射炉跡
【県央】
- 現在は復元された模型が残る那珂湊反射炉跡=ひたちなか市栄町
激動の幕末の始まりのきっかけとなったペリー来航。現ひたちなか市の那珂湊沖にも異国船が出没するようになった。
これに水戸藩第9代藩主の徳川斉昭は危機感を覚え、海防の要として領内の海岸部などに砲台を築いた。斉昭は兵器の充実の必要性を感じ、それまでの銅製から鉄製大砲の転換を唱えた。
その鉄製大砲の鋳造を目的に建てられたのが反射炉だ。反射炉は大量の鉄を溶解する炉。安政2(1855)年に1号炉、2年後には2号炉が完成した。高さは約15メートルで、耐火れんが約4万個が使われたとされる。
しかし、元治元(1864)年の「元治甲子の乱(または天狗党の乱)」で破壊された。1933年ごろから、復元しようとする動きが広まり、37年にほぼ原形どおりの模型が造られた。
2004年には、県史跡に指定された。幕末の海防政策と近代製鉄史を伝える貴重な史跡といえる。
◆主な意見
・日本工業技術発展に貢献した徳川斉昭のシンボル。高炉開発につながった。
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茨城県教育委員会