人物

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探検家・間宮林蔵

【県南】

間宮林蔵記念館に立つ林蔵の立像=つくばみらい市上平柳
間宮林蔵記念館に立つ林蔵の立像=つくばみらい市上平柳

 間宮海峡を発見した江戸時代の探検家、間宮林蔵は1780年、筑波郡上平柳村(現つくばみらい市)の農家に生まれた。

 若い頃から算術などに優れ、1800年には幕府の蝦夷地(北海道)御用雇いとなり、測量技術を伊能忠敬に学び蝦夷地を測量した。

 08年には、幕府の命により松田伝十郎とともに樺太の調査に出発。だが、十分な確認ができなかったため、翌年には単独で探検、樺太北端に到達し、樺太が南北約950キロの大きな島であることを確認した。

 大陸と樺太の間は、後にシーボルトの著作「日本」の中で、「間宮海峡」と命名され、全世界に紹介された。間宮林蔵の名は世界地図に名を残すただ1人の日本人といわれている。

 つくばみらい市上平柳の間宮林蔵記念館は、林蔵の足跡を遺品とともに紹介。生家も見学することができる。地元では間宮林蔵顕彰会が研究や広報に尽力。毎年、林蔵ゆかりの地を歩いている。


◆主な意見
・郷土の偉人として、小学生の社会科の授業で必ず取り上げられる。
・海峡に間宮という名を、世界地図に残した初めての日本人であることが誇り。

【LINK】
つくばみらい市観光協会