人物

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牛久沼と河童の画家小川芋銭

【県南】

牛久沼を臨む林の中にひっそりとたたずむ雲魚亭=牛久市城中町
牛久沼を臨む林の中にひっそりとたたずむ雲魚亭=牛久市城中町

 牛久市の南西に広がる牛久沼。カッパにまつわる伝説が語り継がれるこの沼のほとりに住んだ小川芋銭(うせん)は、伝説を基にカッパの絵を多く残した。「カッパの芋銭」として親しまれている。

 芋銭は1868年、牛久藩士の子として江戸で生まれ、3歳で牛久に移り住んだ。絵の修行のため上京するも、農業を継ぐため93年に帰郷。農業に励む傍ら、妻の支えで新聞や雑誌に挿絵を描いた。

 芋銭はその後、挿絵から本格的な日本画を志し、画家数人と「珊瑚(さんご)会」を発足させて作品を発表。横山大観らの目に留まったことがきっかけで大観の推薦で日本美術院の同人になり、中央画壇で注目を浴びた。最晩年には画商の俳画堂の求めに応じ、カッパの絵を集めた画集「河童(かっぱ)百図」を刊行している。

 現在も沼畔の牛久市城中町には晩年に建てたアトリエ「雲魚亭」が立つ。遺族が1988年に市に寄贈し、記念館として公開された。芋銭をしのぶ遺品や作品の複製が展示されている。


◆主な意見
・引っ越した時に、夕陽で湖面の金波の色が素晴らしい情景だった。
・牛久を代表する偉人。牛久のイメージである河童を作り上げた。

【LINK】
牛久市観光協会

画家・小川芋銭
画家・小川芋銭