県北

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岡倉天心と日本美術院の画家たち

【県北】

五浦の日本美術院で制作中の画家たち。手前から木村武山、菱田春草、横山大観、下村観山=1907年
五浦の日本美術院で制作中の画家たち。手前から木村武山、菱田春草、横山大観、下村観山=1907年

 西洋化の荒波が押し寄せた明治期に、美術行政家・思想家として日本の近代美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心(本名・覚三、1863~1913年)。文化財の保護、東京美術学校や日本美術院の創設に尽力したほか、米ボストン美術館で運営の中枢を担うなど国際的にも活躍した。

 晩年には、新たな日本画の創造を図るため、画家の横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の4人と本県・五浦に移り、研さんを積んだ。大観らが挑んだ新表現は、輪郭線のない色面を連続させ、色彩のにじみとぼかしによって構成するもの。日本画とも西洋画ともつかない風合いから、「朦朧(もうろう)体」と酷評された。

 苦境にあった画家たちだったが、葛藤の日々はやがて実を結ぶ。大観は第3回文展(1909年)に、かつて訪れたインドで見た光景を描いた「流燈(りゅうとう)」を出品。明快な色彩や題材の女性の澄んだ美しさが高い評価を得る。その後、大観は近代的な新しい絵画を生みだし、日本画壇の頂点へと上り詰めていく。


◆主な意見
・“近代美術の父”岡倉天心が日本美術史に残した足跡を後世に伝えたい。
・近代日本画壇の巨匠。痛烈な批判を浴びても努力し、日本画壇の重鎮として日本美術の発展に大いに貢献した。

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北茨城市観光協会